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本を読まないので日本の政治が終わる! by ニューズウィーク

「働き盛りが読書しない日本に、やがて訪れる『思考停止』社会」(ニューズウィーク日本語版)


 まず記事のほうを読んでいただきたいとは思いますが、要旨をまとめると、

・働き盛りの世代が、長時間労働や育児・介護で本や新聞を読まなくなっている
・本屋が減り、読書のためのインフラも激減して拍車をかけている

 まあ、分からなくもないですね。
 で、これを執筆された学者さんは、その結果こうなると言っています。

・モノ言わぬ労働者が増えていることが数値的に示されている
・やりたい放題のブラック企業がはびこることになる
・ネットのニュースタイトルだけで判断して、政治の方向を誤らせることにも繋がるのではないか

 みなさんは、どう思われるでしょうか?
 初めての記事ですが、色々な要素があるのでご挨拶代わりに自分の考えを述べていきたいと思います。

 まず一言でまとめると。
 んなわけあるかい! です。

 意図してでしょうが、読書の減少と対比して、ネットメディアの利用が増えているという事実を書いていません。というか、読書ってそこまで高尚なものなの?と言いたいです。
 私自身は読書が好きで面白そうならなんでも読むタイプですが、知ったばかりに判断を誤ることもあります。たしかに読書をすることは大きなメリットがありますが、この記事はあまりに過大評価しすぎです。

 新聞にしてもエンタメ中心のスポーツ紙も多いし、そもそもが電車通勤での暇つぶしであって、それがスマホに変わっただけです。
 真剣に書籍や新聞を読む人は今も昔も一定数いるでしょうし、読書量といってもその内容と質については、わかるわけがないんです。すべての読書が知性と教養を高めるなんてわけはなく、昔から娯楽と暇つぶしのエンターテイメントのほうがはるかに消費されています。芸術性の高いといわれる文学賞作品より、エンタメ作品のほうがはるかに売れているのが現実です。結局、実用書のようなものでも売るためにエンタメ化せざるを得ないのがその証拠です。「もしドラ」みたいに、「読んでいたら賢そうに思える本を、読む気にさせてくれる」という絶妙なマーケティングでヒットさせたりという事例がわかりやすいでしょうか。

 この記事は、もう本当に何度繰り返されてきたかわからない、「既存のものがダメになって世の中が終わる。あと悪いのはネット」という主張です。
 でもですね、そもそもこの記事がネット掲載ですよ?(笑)  本文で引用している資料なども総務省のHPから。 「ブラック企業」という言葉も、ネット発祥です。すでに自己矛盾していますね(笑)
 結論についても、思考しているとは思えないほど短絡かつ直結的です。


・モノ言わぬ労働者が増えていることが数値的に示されている

 まず「モノ言わぬ労働者」とは、なんでしょう?
 本や新聞を読まないと、人は沈黙すると言いたいのでしょうか?
 ネットの双方向化が進み、掲示板、チャット、メール、SNSとより多くの一般人が、PCからスマホへとより簡易に自己主張や自己表現ができるメディアが誕生している現在、沈黙するとは?

 もちろん、長時間労働や日常生活に追われて、そういう時間が作れないという現実はあるかもしれませんが、電車内でツイッターできる時代ですよ? 寝る前にベッドの中で世界中の人と交流も可能なテクノロジーがある現状で「沈黙する」とは、つまり発信しないと選択したにすぎません。
 かたやネットのない時代は、発信するかどうかの選択はおろか、手段すらありません。
 大手メディアに投稿したり、電話をかけたりしても、あっちの都合でいくらでも黙殺されるわけです。


・やりたい放題のブラック企業がはびこることになる

 前の話からつながりますが、そもそもこの言葉がネットで拡散したのは、2007年に投稿された2ちゃんねるのスレ「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」がきっかけです。これが話題になり、書籍化、さらには映画化までされます。
 つまりネットがあったおかげでこの投稿者は自分のつらい状況を世に問うことができ、それを読んだ不特定多数の人も労働環境の実例を知り、意見交換する機会を得たわけです。
 もし、この内容を新聞やテレビが取り上げたとしたら、せいぜい小さい短文記事か、ニュースでも数分でしょう。
 それを見ても居合わせた知人や家族と一言二言愚痴を言い合うだけ。たぶん、大多数はスルーして終わりです。


・ネットのニュースタイトルだけで判断して、政治の方向を誤らせることにも繋がるのではないか

 三つめは、話が破たんしているので前後に分けます。
 まず前半の「ネットのニュースタイトルだけで判断してしまう」。これは速報性、検索機能、便利なシステムといったネットの特性からくる悪い部分だなとは私も思います。
 この問題点については、いずれまた違う機会に書きたいと思いますが、いまのネットニュースの利用は、プッシュ型に近いとは思います。つまりユーザーが自分の好みのブログやサイト、SNSなどを巡回して、次々と発信されるニュースを受動的に消費していく形です。しかもまとめブログなどで2次利用、3次利用され、情報としての正確度は下がっています。

 また、そのニュースに対するネットユーザーの反応を、「面白いもの」「共感しやすいもの」「反論を受けやすいもの」と意図的に選んで編集しています。つまり「みんなはこう思っていますよ」という同調圧力で、意見を誘導しているといえなくもありません。それはアフィリエイトでの稼ぎや、閲覧数・コメント数を増やすためだからです。
 またそういった反応やコメントはかなり偏っていたり、事実とは大きく異なっている場合もよくあります。センセーショナルであればさらに真偽の確認より先に拡散され、炎上して当事者の個人情報を調べ上げネットに晒したり、電話や直接会って嫌がらせをするといった、いわゆる凸(とつ・突撃のこと)などの暴走もあります。しかも匿名のネットでは、やりすぎても誰も責任を取りません。
 そういうものを見ていると確かに「もうちょっと本や一次資料を見て冷静に考えるべきでは」と思わなくもないです。

 しかし、です。
 こういった問題点が、ネット以前の「旧メディア」になかったのでしょうか?
 偏向報道、やらせやねつ造、隠ぺい、思想的な結論ありきの議論、視聴率や購買数を上げるためのセンセーショナルな見出し、スポンサーに配慮した不自然な報道、政治的意図を持った扇動、自宅を大勢の記者が日夜取り囲んだり、どこまでも追跡するプライバシーの侵害、訂正記事の誠意のなさや小さすぎて記事で被害にあった人の名誉が回復されるとは思えないなどなど、すでに新聞やテレビがたびたび批判されてきたことです。
 さらにたちの悪いことに、これを行っているのはごく一握りの新聞記者やテレビ報道関係者です。
 彼らは給与を与えられ、組織としてそれを何十年もやり続けてきたわけです。

 ネットでは誰でもニュースの発信者になれます。
 スマホ一つで写真や動画を投稿し、主張を世界に問うことができます。当事者としてリアルタイムで、不特定多数の人と意見交換もできます。やりたければ何時間でも、どんな規模でも可能です。
 つまり平等・公平・自由において、ネットは旧メディアよりはるかに優れているはずです。なぜなら社会を構成する全員による直接参加こそが、民主主義においての理想だからです。まあ、平等・公平・自由を錦の御旗にして、なんでもかんでも押し通そうとするサヨクこそが、もっともその価値を理解しておらず、踏みにじっているというのが私の考えですが、それもまたの機会に。

 さて、後半の「政治の方向を誤らせることにも繋がるのではないか」。
 思考の飛躍というか、突然すぎて論理性のかけらもありませんが、結局、著者はこれが言いたかったんですかね(笑)
 書いた学者さんのプロフを見ると、76年生まれですからアラフォーです。あまりにも偏狭な考えでもっと高齢なのかと思ったので、意外です。
 氷河期世代、ファミコン世代で学校でパソコン教育などはなく、学生時代はポケベルから携帯電話の移行期、ネットも社会人になってから普及した世代です。
 じつはこの世代は、アナログ世代とデジタル世代の間にぽっかりと空いたミッシングリンクのような人たちで、団塊ジュニアも一部重なっています。私個人としては、この世代こそが戦後教育とネットのパラダイムシフトでもっとも犠牲になったサイレントマジョリティだと思っていますが、またそれも別の機会に書きたいと思います。

 ともあれ、話題を戻しますと、ネット時代以前に「政治の方向を誤らせること」はなかったのでしょうか?
 椿事件や2009年衆院解散総選挙で民主党が勝つまでの麻生政権への幼稚な嫌がらせなど、マスメディアが率先して政局を歪めてきた事実がありますが、これは今より多くの人が本を読んでいた時代ですよね?
 いや、もっとひどいことが起こると言いたいのか、これこそが本を読んでいたからできた「正しい判断」と言いたいんですかね?
 中立的で公平な報道をせず、ただただ「与党だからなんでも批判する」と非論理的に騒ぐことが、本を読む賢い人のやることなんでしょうか。
 むしろネットがある現在だからこそ、森友学園にまつわる国会の空転のように、バカげた空騒ぎだと見透かす人が増えたのではないでしょうか。

 冒頭でも述べたとおり、私は読書好きですし、本によって学ぶことや成長できたと思うことはたくさんあります。しかし、読書の減少とネットのせいで「社会が思考停止になる」などあり得ないと思います。失われるものもあるかもしれませんが、それを補うものが必ず現れるはずです。
 はっきり言えば、一般大衆をナメすぎじゃないかと思います(笑)
 ネットのハードとソフトの進歩によって、すでにネットは書籍とはまた違う強みを持つようになっています。
 またそれに従って使う人間にも意識の変化があるように思います。

 それについては、次の記事で書いていきたいと思います。
 しょっぱなから堅苦しい話題と内容だったので、次はもう少し軽い話題を題材にそのへんを考えてみたいなと思っています。


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Author:コンペス
どこにでもいる本とマンガが好きな一般人です。

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